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アプトの道を歩く [鉄道(廃線跡)]

信越本線の横川-軽井沢の旧線を整備した「アプトの道」を往復しました。まずは横川を目指します。
高崎駅での乗換時間を利用して蒸気機関車を撮影。

場所的にちょっと撮りづらい位置に停車しており、八高線の発着する3番線ホームから撮影して見ました。この日は4両編成。

踊り子号のリバイバルカラー185系。「あかぎ」号新宿行きが発車。

その後これから乗車する横川行き普通電車が入線。107系2両。ロングシートなのが残念。電車に揺られることおよそ20分で終点横川駅に到着。

横川駅は関東の駅百選に選ばれた駅舎です。ちょっと時間が経つと閑散となります。あれだけ多くいたハイキング客と思われる人たちが見えません。

アプトの道起点。ここから熊の平までのおよそ6kmを歩きます。

廃止された信越本線の上り線を遊歩道化して、歩きやすくなっています。左側下り線を流用しては横川にある碓氷峠文化むらから峠の湯までトロッコ列車が運行されています。今は冬期なので運休中。

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タグ:アプトの道

東武熊谷線 [鉄道(廃線跡)]

かつて熊谷と妻沼を結ぶ東武熊谷線というのが走っていました。1983年5月31日に廃止となり、線路跡は遊歩道や道路となっており、昔鉄道があったという面影がありません。

熊谷方面を撮影。途中まではかめのみち遊歩道となっています。両サイドの柵が鉄道があった名残。

所々境界標が残されており、これが頼りになります。

旧大幡駅。事前の調査が無いと素通りするところでした。道路化されるようで今は歩行者くらいしか通れません。道がほぼまっすぐなので迷うことは無いです。
この先は変化が無くあまりおもしろみはありません。

福川に架かる橋は東武橋といいます。1988年3月に改築したようです。この道路もその辺りに造られたのでしょうか。

旧妻沼駅。ここも事前の調査が無かったら通り過ぎていたと思います。

妻沼駅の先は車庫になっていたようですが、現在は空き地となっています。ニュータウン入口というバス停から熊谷方面を撮影。

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タグ:東武

秩父鉱業専用線跡を歩いてみる [鉄道(廃線跡)]

東武東上線高坂駅から以前は貨物線が分岐していました。この貨物線は1986年に廃線となりました。この線路跡は関越自動車道との交差だけが残されていました。葛袋3号橋と呼ばれ長いこと放置された状態でしたが、今月初め、関越自動車道を夜間通行止めしてこの橋の撤去を行いました。
本来ならもっと早く撮っておけば良かったのですが、今になってその廃線跡を辿ってみました。

撮影地点1
正面が東松山方面。左側の道路と線路の間に貨物線があったようです。高坂駅は自分が子供の頃は2面3線だったのですが、橋上駅舎になり、下りホームは駅舎と共に無くなりました。

撮影地点2
ゆっくりとカーブを描き東武東上線と別れ、道路と交差します。右端に見えるコンクリート製の基礎が恐らく踏切跡かと。今はゴミ集積場となってます。正面の木が見える辺りに東武東上線が走っています。

道路を挟み、廃線跡は立入禁止になっています。並行する道路が無く早くも途絶えました。

撮影地点3
線路のある方向に進む道路を見つけ、突き当たりに廃線跡を見つけました。正面は東上線で、左側が都幾川です。

反対側。ポンプ小屋と道路の間に空間が見えますが、これが廃線跡。

撮影地点4
廃線となって20年以上経過しており草木が生い茂っていますが、線路部分は草が刈られています。車が通った跡も無く、定期的に除草しているのでしょうか。

この先にある建設会社の裏手を上っていきます。

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タグ:東武

アプトの道が来月末熊ノ平まで延伸予定 [鉄道(廃線跡)]

かつて横川~軽井沢間には最急勾配66.6パーミルの信越本線が走っていました。アプト式の電気機関車により碓氷峠を越えていましたが新型機関車EF63や62の登場により役目を失い一部は新線にルート変更されました。その新線も新幹線により廃線。
廃線跡を利用して現在は横川駅から碓氷第三橋梁(めがね橋)まで遊歩道として整備されましたが、H24年3月末日には熊ノ平駅まで延伸されるようです。

現時点の碓氷第6トンネル。入口から5mくらいまでは中に入れます。

トンネル奥の壁には完成予定の張り紙が。
現在はここまでしか行けないので旧国道18号線沿いに車を走らせてみました。

旧碓氷第6トンネル。旧線時代は一番長いトンネルで2箇所の横坑が設けられています。そのうちの一つ。安全対策で柵が設けられていますが何か見栄えが悪いですね。

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タグ:碓氷峠

日本セメント貨物線跡を歩いてみました [鉄道(廃線跡)]

JR高麗川駅から太平洋セメント(旧:日本セメント)埼玉工場までは貨物線が敷設されていました。創業当初からセメントの原料やセメントそのものを運搬していたようです。しかし1999年(平成11年)に役目を終え廃止となってしまいました。現在でも高麗川駅は広大な側線の跡が見られます。2009年(平成21年)3月、太平洋セメントからこの側線の一部区間を寄附され、整備を行い、2010年(平成22年)3月8日に一部区間を遊歩道として開放されました。

天気もいいことなので14日、出かけてみました。



出発点である高麗川駅。現在エレベータ付きの跨線橋を建築中で、これが完成すれば薄暗く狭い地下道も無くなるでしょう。



高麗川駅を出て最初の踏切。中央が貨物側線。右が川越線。左が八高線。八高線は電化されていますが、引上線を兼ねているのかすぐ先で架線は無くなります。中央の貨物側線はなだらかに右にカーブしていきます。正面は安全側線でしょう。

入換信号は使用されていないため、線路と垂直に向けられています。線路も残されていますね。踏切の先は盛土となります。手前の線路は八高線。

八高線沿いに高崎方面に進み、高麗川から2つめの踏切(上野台踏切)を横切る道路を進みます。奥に見える踏切が今回の目的でもある遊歩道の入り口。

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アプトの道遊歩道延長? [鉄道(廃線跡)]

信越本線の横川~軽井沢間のうち、旧線の横川~碓氷第三橋梁(めがね橋)までが「アプトの道」として遊歩道化されています。

この先は通行止めとなっているのですが、めがね橋に隣接する第6トンネル入口では遊歩道化の看板が立てられていました。



こちらが碓氷第6トンネル。旧線時代では横川~軽井沢間で一番長いトンネルです。



アップで見ると"遊歩道工事中"と書かれています(「遊」の字は隠れて見えないですが。)1210mとあるので、その分延長されると言うことなのでしょう。どの辺りまでなのかちょっとはっきりしませんが、熊ノ平までだといいのですけどね。



こちらが碓氷第6橋梁。先ほどの第3橋梁に続いて2番目に高い橋梁です。橋の欄干になにやらカバーが掛けられているようですが、手摺でも付けられるのでしょうか。

中央本線廃線跡(後編) [鉄道(廃線跡)]

この先は第5トンネル(隠山第一トンネル)が見えてきます。



トンネルの長さは99m。左側はまだ草木に覆われたまま。右上にぶら下がったようにあるのはスズメバチの巣。ちなみに今はいないとのこと。

トンネル内には作業員が退避する場所がありました。

トンネルを出るとすぐに目の前が第6トンネル(隠山第2トンネル)が見えてきます。この間は比較的広い場所でシートを広げ弁当を食べるなど思い思いにくつろぐ姿が見えました。



第6トンネルの横へは登れるようになっていて、その先に進むことが出来ます。さて、第6トンネルは333mとやや長いトンネル。カーブになっているため奥まで光が届きません。鏡を反射させて太陽の光を中程まで届くようにしていました。・・・あまり効果無いような。

トンネル内部はここ以外もそうなのですが、蒸気機関車が走っていたせいもあり、上部が煤けています。



多治見側のトンネル出口。多くの草木に覆われていたようですが、ここも整備されご覧のような姿になっています。正面は愛岐処分場へと通じる道路が横切っていて手前は川が流れています。これが愛知県と岐阜県の県境となっていて、整備はここまでとなっています。

見づらいですが正面にレンガ積みの橋台が残されています。


さて、最初の地点に戻りますが、実はもう一つ第3トンネル(玉野第3トンネル)にも行けるのです。スタート地点に一番近いのですが、ここは帰りのルートとなっています。



第3トンネルの入口(多治見方)左側に「3」とペイントされています。

ちょっとその部分を拡大。

トンネル内部は1/4ほどが土砂に埋まっており、やや歩きづらくなっていました。ここだけトンネル内部はカンテラが置かれていて足下を照らしていました。

トンネル内部

トンネルを出るとやや広い場所に出ます。この先はJR中央線と合流するため立入禁止となります。



左側には柵が。整備されていないのでご覧の通り荒れ放題。これまで通ってきた廃線跡も同じような状態だったのでしょう。



こちらは第3トンネル定光寺方。


さて、廃線跡を見てきましたが、定光寺のホームからでも廃線跡が見られます。



定光寺駅の高蔵寺側から撮影。左側にトンネルが見えますが、これは第2トンネル(玉野第2トンネル)です。右にカーブしたトンネルは現在のトンネルです。



反対側古虎渓側から撮影。313系が見えるトンネルが愛岐トンネル。全長は2910M。トンネルの右側に茂った草木がありますが、ここが旧線となり、先ほど紹介した第3トンネルへと通じます。
タグ:中央西線

中央西線廃線跡(前編) [鉄道(廃線跡)]

愛岐道路

中央西線の定光寺~古虎渓間は1966年(昭和41年)の名古屋~瑞浪間の複線電化時に同区間は愛岐トンネルで1本のトンネルになりましたが、電化される前は庄内川沿いに線路が敷設され6つのトンネルがありました。今回、「トンネル群再生委員会」主催によりこの廃線跡を歩く「再生作業現場・第二回秋の市民見学会」が開催され、これに参加してきました。

A班とB班に分かれており、私はB班。やや遅めの出発です。

名古屋を10:17に出発する普通電車多治見行きに乗り、定光寺で下車します。ここは山にへばりついた格好になった駅ですぐ真下を庄内川が流れています。

下車する大半は今回の見学会に参加する人です。無人駅の定光寺を出るとすぐにスタッフが待機していて、受付場所へと誘導してくれました。

細い道路は現在中部電力の施設へと続いていて、普段は関係者以外立入禁止なのでしょう。やがて受付場所にたどり着き、ここで事前に貰った参加証を渡して中に入ります。



振り返ると定光寺駅が見えます。今歩いている場所だともう愛岐トンネルの中に位置します。この先は道が狭く、廃線跡に向かって山の斜面を登ります。元々定光寺からほぼ同じ位置まで廃線があったのですが、その区間はJRの敷地と言うことでこのように迂回しているのです。(最も列車が高速で通り抜けているのでこのそばは通れそうにないからでしょう。)現在廃線跡は地元に払い下げられています。
手摺用として竹が使用されています。恐らく委員の方で作ってくれたのでしょう。

登り切ると廃線跡。既にレールとマクラギは撤去されていますが、バラスト(砂利)は残っています。



落石を防ぐための防護柵も当時のままでした。

鉄橋は撤去されているため、仮設の橋が架けられていました。この辺りに生えている竹を流用しているのだそうです。付近に竹製のベンチもありました。ちなみに仮設なので定員は3名。

やがて第4トンネルが見えてきます。玉野第四トンネルといって全長は75m。既に廃止されてから42年、目の前には木が生えています。ここだけでなく至る所に大木が自生しています。とてもここを列車が40年以上も前に走っていたとは想像がつかないくらいに。

トンネル内は当然ながら照明はありませんから、懐中電灯が大活躍となります。持っていないで歩くと人とぶつかります。足下も良い状態ではありません。

トンネルを抜けるとやや広い場所に出ます。元々作業員達がこの場所を使って休憩にも利用されたようです。茶席が用意されていました。

付近に生えている楓の木。大きいです。

付近を流れる庄内川この辺は見晴らしが良く、恐らく列車内からもこの景色が見えたのではと思います。



再び橋梁跡。ここでも仮設橋がかけられていました。定員は3名。



この先落石防止の壁が設けられていました。ここも当時のまま残されています。

後半に続く。


タグ:中央西線

大日影トンネル遊歩道 [鉄道(廃線跡)]

中央本線の甲斐大和~勝沼ぶどう郷間にある大日影(おおひかげ)トンネル遊歩道に出かけてきました。
 このトンネルは1903年(明治36年)に開通し、その後複線化により1968年(昭和43年)にこのトンネルに並行して新大日影トンネルが完成し大日影トンネルは下り専用として利用され、1997年(平成9年)に新大日影第2トンネルと新深沢第2トンネルが完成し、このトンネルは深沢トンネルと共に廃止されました。

使われなくなったトンネルを2005年(平成17年)にJR東日本から勝沼町(現:甲州市)に無償譲渡され、2007年(平成19年)3月に遊歩道化の整備の完成、2007年8月29日にオープンしたようです。
勝沼ぶどう郷駅を出て線路伝いに進むと公園があり、電気機関車EF64 18号機が保存されています。

この機関車は1966年(昭和44年)製で2006年(平成18年)まで活躍していたものをJR貨物から譲り受けたものです。
この公園は以前スイッチバックとしてホームがあったらしいです。

公園のはずれに見える橋台の跡。スイッチバックの名残で川を渡った辺りまでレールがあったのでしょう。

このはずれにある狭い階段を登っていくと下記の場所に出てきます。

↑右が大日影トンネル。左は新大日影第二トンネル(現在の下り線)
トンネルは9:00~15:00の間だけ通ることが出来、入場は無料。全長1367.8mのトンネルを行って帰ってくるだけのコースです。

トンネル内はレールがそのままの状態で残されていました。さすがに架線は取り外されていましたが。
レールの両サイドは舗装されています。トンネル内はヒンヤリしていて心地いいです。レールの上を歩いても構いません。

キロポスト(110と109.5があります。)と勾配標もそのまま設置。

トンネル内部は湧水用の水路がレール内に設けられてます。現在でも天井から水滴が落ちてきたり、壁から水がしみ出ていたりとしていました。また、1931年(昭和6年)に電化されるまでは蒸気機関車も走り抜けたのでトンネルの至る所に煤が付着しています。

トンネル内には保線作業員のための待避場所がそのままの設備として残されており、中央本線の歴史など説明された看板が掲げられていたり、大北待避場所にはベンチが置かれていました。

トンネル出口は鉄橋があり、その先は深沢トンネルとなっていますが、この深沢トンネルは現在トンネルワインカーヴとして使用されていて、ワインの貯蔵庫として利用されています。画像にある建物(勝沼トンネルカーヴ案内所)にいけばトンネル内を案内してくれるそうです。
車で来る場合はこちらのほうがよろしいでしょう。停める場所はそんなにないのですけど。

トンネルを出て車道に出ると中央本線の下り線が見えます。新深沢第二トンネルで、この後ろ側が新大日影第二トンネルです。

青年の歩くスピードで大体20~30分かかりますので、往復でおよそ40分~1時間くらいです。

碓氷峠再び2 [鉄道(廃線跡)]

昨年の10月に碓氷峠へ廃線跡をたどるのも兼ねてドライブに行ってきましたが、資料がやや不足していたので本日もう一度碓氷峠に行って来ました。登るたびに雪がチラホラとあり、標高900m近くでは日陰になっているところで道路にまで雪が積もっていました。行き交う車に踏み固められ、凍っているため、ノーマルタイヤではたぶん厳しいですね。
 軽井沢では路面の片隅に雪が積み上げられ除雪されていました。昨日の東京での大雨はこちらのほうでは雪だったのかも知れません。

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